last update 2001. 12.13


talking about rock and roll vol.01

恒松正敏 2001.12.08



◆いよいよシングルが再発ですね。
「昔のやつもいいけど早く新譜をね。」

◆新しい曲は?
「んー、まだそこまで。メンバー間でごたごたみたいのもあったし。」
※2002.1.20@クアトロのライブを最後にベーシストが変更する予定らしい。

◆CDの方にはLive音源がボーナス・トラックとして収録されるようですね。
「当時ソロのライブは1度しかやってなくてその時やった3曲全部が今度のCDに収録されてる。あの時のメンバーの半分はもう亡くなってるんだよ。ドラムのマキ註1が5年くらい前に。あとギターをやったオサム(逆井)が去年か。向こうの世界に行っちゃったね。オサムって昔のバンドでルージュってあったでしょ?そのギタリスト。当時近所に住んでいて。ライブの前日だったか彼にテープを渡して「この曲コピーしといて」って感じだからリハーサルも何もなしでやったんだよ。だからヒドいだろ(笑)。LiveのベースはS-KENのエグチが弾いている。」
◆スタジオ・レコーディングの方は、ベースも恒松さんが弾いているんですよね?
「そうそう。」

◆今回復刻されるシングルとFRICTION加入時期というのは重なっているんですか?
「記憶が曖昧なんだけど、ソロライブの時は既にFRICTIONにいたはず。CBSソニーのオムニバス『東京ロッカーズ』は出てたかもしれないけど1stアルバムはまだ出てなかった時期。註2 シングルの方は「レコードという形で曲を残そう」って決めた時点ではまだFRICTION加入の話はなかったと思う。註3

◆確かシングルを出す前に「はぐれ雲」というバンドで活動されていたと思うんですけど、恒松さん以外のはぐれ雲のメンバーとはその後交流はあるんですか?
「その後特に聞いてないね。はぐれ雲のあともしばらく音楽をやってたみたいだけど。あの時俺は芸大生だったけど彼らは違うよ。はぐれ雲でやってた音楽はスリー・コードのね、ブルースロックをベースにしたようなものかな。」

◆ある本で恒松さんは、FRICTIONに加入するにあたってキチンと作品を残しておきたかったからゴジラのレコードを作った、という記述がありましたが?
「ちょうどその辺の時期かな。俺がDR.FEELGOODを聴いて「コレぞ俺がやりたいことっ!」って思ったんだけど、他のメンバーは全然違ったのね。それで、あっ俺がやりたいことをちゃんと形に残したいなって思ったんだ。註4

◆先ほどブルースロックという話がでましたが、恒松さんの音楽にはベースにアメリカのそういうロックを強く感じるんですよね。FRICTIONの時期を除いて。最近の作品(LUNATIC ANIMALなど)なんかも特にまたそういう感じですよね。
「んー、ブルースと言ってもR&Bみたいなものも含めてね。ま、でもアメリカンとかブリティッシュという区別は意識してなかったな。さっき(対談)も話したけど、最初のロックとの出会いはビートルズだしね。」

◆原点はビートルズにあり、と。
「あと、いちいち説明するのが面倒だからあんまり出さないけど、アニマルズもすごい好きだったね。いずれも現体験だし。俺らの世代はラッキーなんだよね。小学生のころビートルズがいてその後ウッドストックがあって。でパンクが来てっていう風にリアルタイムで体験できて、そういう中で音楽をやってきたから。欲をいえばプレスリー(若いころの)もリアルタイムで見たかったかな。」

◆50年代ロックも結構お好きなんですか?
「うん、すごい好き。」

◆キンクスとかは?
「んー、『ユー・リアリー・ガット・ミー』くらいまでのノーテンキな頃まではよかったんだけど、その後小難しくなってからはいまいち。あと歌詞がわからないと良さがわからないでしょう?俺はどっちかっていうとサウンド志向が強いから。」

◆なるほどね。そうすると、FRICTIONで恒松さんがやっていた音楽、もしくは恒松さんが在籍していた頃のFRICTIONは、恒松さんの音楽性からみるとかなり特殊だったということでしょうか?
「いや、例えばヒゲのドラムなんかもやっぱりブリティッシュビートというか、通るべくしてあるロックの部分を持っていたんだよ。まあ一般的にはNO NEW YORK、コントーションズの洗礼をうけてのフリクションみたいな言われ方もするかもしれないけど、俺がバンドで一緒にやっていて、今言ったようなビートを体で感じてたよね。」

◆ヒゲさんといえば、その前にやっていた3/3はわりとオーソドックスなハードロックですしね、って私はテープでしか聴いたことないんですけど。
「あ、よく知ってるね、マニアだね〜。レックもヒゲもジミヘンがすごい好きだし。実ははぐれ雲と3/3が同じステージに立ったこともあるんだ。当時はお互い認識はしてなかったけど。」註5
◆3/3は何かハードロックなんだけど、70年代独特の暗さを持っている、というか...
「そうそう、70年代といえば好きなバンドがあってね。ハンブルパイ。知ってる?」

◆、、、あのー、メンバーが元何とかの、、、フリーでしたっけ?
「いや、元スモールフェイセス。でもフリーも好きなんだよな(笑)。」

◆ところではぐれ雲は都内でライブ活動されてたんですか?
「んー、都内っつーか当時あんまりライブハウスなんてないでしょう? だから、例えば屋根裏の昼の部に出たこともあるし、あとは福生(チキンシャック)とか。前橋にも行ったなあ。」

◆前橋ガルシアのことですか?
「そうそう。なんか今は昔と場所がかわってるらしいね。当時は確か国道沿いにあったかな。当時のマスターがまた戻ったとか聞いたけど。」

◆はぐれ雲の音源ってあるんですか?
「2、3本カセットであるんだけど、アレはねえ(苦笑)。ま、俺が死んだ時に出るかもね、追悼盤ってことで(笑)」

聞き手:space_ape

*註1:ゴジラ・レコードのシングル、ソロ・ライブで活動をともにしたドラマー、マキは元「芸夢」、「プラスチック」というバンドでギタリストだった(ゴジラ・レコードのコンピ盤『CRACK! GOZIRA RECORDS COMPLETE COLLECTION 1978-1979』(WAX/TKCA-30333)のライナーより)。芸夢は、紅蜥蜴〜LIZARDのキーボード、コウ(中島幸一郎)がドラムスだったことでも知られるゲイリー・グリッター系のグラムロックBAND。
プラスチックは、1977年11月に東京・高輪プリンスホテルで行われた【BIGI ファッション・ショー】で紅蜥蜴の変名バンド「デストロイヤー」と共演している。プラスチックスは当時、クラッシュのコピーなどをやっていた(ミニコミ誌『日本のパンクロック』)。

*註2:1979年6月28日(木)18:00〜 新宿ロフト「ゴジラレコードデー」GOZIRA LABEL First Gig!! と題したイベントで唯一ソロLiveを披露している。ロフトのフリーペーパー兼マンスリー・スケジュールの『LOOF TOP』とポスターにはMr. Kite/FRESH/MIRRORS の3バンドしか書いておらず、出演がいかに急だったかをうかがうことができる。

*註3:『CRACK! 』のライナーによると、シングル『DO YOU WANNA BE MY DOG・G・G!?』は1978年11月にALFALFA STUDIOでレコーディングし、レコーディング終了直前の同月にFRICTION加入が決まったとされる。オムニバス『東京ROCKERS』のリリースは1979年4月21日、FRICTIONの1stアルバム『軋轢』は更に1年後の1980年4月25日。

*註4:地引雄一氏編集の雑誌『EATER』第3号p.62に以下のような記述がある;
−パンクが出てきた頃はどうしてたの。
恒松  やっぱりそれ以前のバンドはブルース・ロック的なのやってたんだけど、だんだんそういうものも、なんか苛立ちを感じてきたっていうか(笑)。メンバーともなんか全然違うなって。で、その頃、うまくシンクロしてるというか、ピストルズとかでてきて・・・。でもいちばん最初に、ジャムを聴いたんだよね。だから未だにジャムは大好きなんだけど。それでねぇ、ミラーズを見たの、実は。福生のチキンシャック(ライブハウス)かなんかで。で、「あっ!しまった」と思ったんだよね、俺。「ちきしょう。俺がやりたいと思ったことをやってるな」と思って。それでもう即、今までやってたバンドやめて。それで、あれ作った。ゴジラ(レコード)。


*註5:『EATER』第3号p.62より; ・・・それ以前にね、3分の3芸大の学祭に出たことがあるんだよね。その時、もちろん別のバンドだけど俺も出てるんだよね。
("別のバンド"=はぐれ雲)

恒松正敏ソロ・ライブ 1979.6.28 @ 新宿LOFT(左から エグチ、恒松、オサム)


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