Update 1999. 11. 15

LIZARD!Live at 新宿LOFT
1979.3.11


  • 当時の録音技術について

  •  1979年当時、国内におけるロックン・ロールのレコーディング技術状況は・・・
    (1)1981年ころまでドラムの音をまともに録音できる機材も人材もなかった。

    (2)当時最大のメディアだった塩化ビニール製アナログ・レコードは、マスタリングの際に位相に注意を払わないと針飛びを起こす代物だった。

    (3)メジャー・レーベル(含むCBS・ソニー)の場合、演歌もポップスも邦楽/洋楽もすべて同じエンジニアが担当していた。つまりエンジニアにとって録音機材の管理、メンテナンスは非常に重要だった。それに加え、塩ビ盤へのマスタリングでイコライジングを施す際に重要となる「RIAA曲線」についてミュージシャンは理解していない、ということ(=まともなマスタリングの仕方を知らないだろうという見方)。この2点から当時のエンジニアはミュージシャンがミキサー卓に触るのを極力嫌った。

    (4)以上のような録音技術のノウハウを、ミュージシャン自身が熟知していなかった。
    Mr.KITE『共犯者』レコーディング(WAKU & モモヨ)
    1979年6月 S-KENスタジオにて

     (1)に関しては、LIZARDの1stアルバムのエンジニアALDO BOCCAが後にストレイ・キャッツのエンジニア兼プロデューサーとして来日した際に、アン・ルイス沢田研二のアルバムをプロデュース。この時、国内の機材(70年代後半にでた“キーペックス”という機材)でドラムの音をタイトに録音することが可能であることが示された。
     また(2)で指摘している通り、塩ビのレコードの場合、例えばロック・ドラム特有の強烈なアタック音が片チャンネルだけから出た場合、針飛びを起こす。つまり激しいドラムの音は中央定位処理するしかなかった。言い換えればロックらしい音圧感を保ったまま盤にする場合、モノラルにちかい音にするのが一番だったのだ。そう言えばゴジラ・レコードの『衝撃X』(MIRRORS)『いいかげん』(恒松正敏)はモノラルに近いサウンドながら、かえって音の迫力がある。が、決してベストとは言い難い音質だ。
     そして(3)(4)で示した通り、当時のLIZARDFRICITIONのような国内に前例のない類の新しいロックン・ロール・サウンドをレコーディングする専門のスタッフがいなかった。また一番知り得るとすればミュージシャン自身だったかもしれないが、79年時点ではまだその段階までいっていなかった。『東京ロッカーズ』も、この点がアルバムの仕上がりに大きく影響することになる。(次頁につづく)
     内容がこれ以上専門的になり過ぎるのを避けるために、細かい技術的な説明を一部省略しています。このページの内容はあくまでも参考程度に。深く考えずに次頁に進んでください(^^)。
    レコーディング中のヒゴ・ヒロシ(左)とモモヨ(右)
    1979年6月 S-KENスタジオにて
    special thanks to MOMOYO for the technical advices

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