last update 2002. 11. 9

pre-friction "BLOW UP〜3/3"
(1970-73)

FRICTION以前に日本国内でЯECKとCHIKO-HIGEが在籍していたバンドとして3/3(さんぶんのさん)がよく知られている。自主制作のアルバムをわずか10枚プレスしただけで他に公式音源はない。情報が限られているが、ЯECKとCHIKO-HIGEが在籍したグループは、時期の前後が不明確ながらBLOW UP3/3(さんぶんのさん)○△□(まるさんかくしかく)の3つが確認されている。

●ЯECKとCHIKO-HIGEの出会い:
(70年代初頭)CHIKO-HIGEが『ミュージック・ライフ』誌のメンバー募集欄に投稿したところ、ギタリストとしてЯECKがコンタクトをとってきた。これが後にFRICTIONを組むことになる2人の出会いだ。この時点で即「3/3」というバンド名を名乗っていたわけではなく、ЯECKとCHIKO-HIGEを中心にセッションを繰り返すうちに、パーマネントのバンド「3/3」に落ち着いたと思われる。(1999年11月30日更新)

●ロック喫茶・高円寺ムービン〜"BLOW UP"結成:
1970年当時、高円寺にムービンというロック喫茶があった。当時ミュージシャン志望の若者などで賑わったというムービンに、ЯECKとCHIKO-HIGEも常連として顔を出していた。2人がムービンに通うきっかけは、レックが御茶ノ水デザイン学院で知り合った渡辺作郎(カント)の影響と思われるが、自然発生的に足を運んでいたのかも知れない。2人はここで、やはりムービンに出入りしていた有田武生(アリ)と出会った。1971年、この3人にスギタを加えた4人でBLOW UPというバンドを結成した。

 BLOW UPメンバー: (1971-72)
 ・ЯECK(ヴォーカル、ギター)
 ・アリ=有田武生(ギター)
 ・スギタ(ベース)
 ・CHIKO-HIGE(ドラムス)

NHKなどに出演したこともあったが(当時の音源をお持ちの方ぜひご連絡を)、BLOW UPは短期間で解散してしまう。
BLOW UPの4人のうち、ギターのアリとベースのスギタの2人は、ちょうどその頃京都の方からやってきたビショップと出会い(やはりムービンか?)一緒にバンドをやろう、という話しになったという。アリ自身「自分の言葉で表現するロックバンド」を強く志向しており、1972年にこの3人でSUPER HUMAN CREW(スーパー・ヒューマン・クルー)を結成した。

 SUPER HUMAN CREWメンバー: (1972-73)
 ・アリ(ヴォーカル、ギター)
 ・スギタ(ベース)
 ・ビショップ(ドラムス)

当初からインプロビゼーションを中心としたパフォーマンスを繰り広げ吉祥寺OZや渋谷ジャンジャン などで活躍。一時期、京都からきた原田詳経がキーボードで参加し4人編成になったこともあった。

●3/3結成:
BLOW UPの残り2人、ЯECKとCHIKO-HIGEはSUPER HUMAN CREWが結成された後に3/3(さんぶんのさん)を結成する。

・"3/3"というバンド名は、やはりムービンの常連・渡辺作郎(カント)が1970年頃から主宰していたマルチ・アート集団○△□(まるさんかくしかく)のミニコミ誌『4/4』に由来し、3人編成のバンドだから"3/3"になった、と言われている。よって遅くとも3/3結成以前からЯECKとCHIKO-HIGEは○△□に出入りしていた、もしくはメンバーになっていたと思われる。

・当時ムービンに出入りしていたやまかさんによると、新人バンドとしてある雑誌が3/3を紹介した記事には、ЯECKとCHIKO-HIGEの2人しかメンバーとして記載がなかったという。しかしバンド結成から3人編成だったという証言もあるので、ЯECKとCHIKO-HIGE以外のメンバー(=ベーシスト)は比較的流動的だったのかもしれない。

・3/3の結成時期について私は2つの仮説をたてた。1つは1973年秋頃のSUPER HUMAN CREW解散直後。これは3/3の結成が・・・SUPER HUMAN CREWの解散→ベースのスギタがЯECK&CHIKO-HIGEに合流→3/3結成・・・というもの。アリ氏によると、SUPER HUMAN CREWは1973年9月8日"飢餓地獄"(新潟県長岡厚生会館)の後に参加した新潟県加茂市でのコンサート・イベントを最後に解散した。アリ氏曰く「当時の主だったフォークシンガーはほとんど出演していてロックバンドはモップスとSUPER HUMAN CREWだけでした。なんだか浮いた感じがして、ビショップの疲れたという表明と共に休止、そして自然解消という事になった」。一方でその直後にあたる1973年12月13日・青山タワーホールで行った3/3のライブで、ベースが"元スーパー・ヒューマン・クルー"のスギタだった、と記録されている(『ニュー・ミュージック・マガジン』1974年2月号)ので辻褄があう。
もう1つの仮説は、3/3はSUPER HUMAN CREW解散前に結成し、ЯECK&CHIKO-HIGE+ベーシストで活動していて、SUPER HUMAN CREWの解散後にスギタが新しいベーシストとして加入した、というもの。いずれにしても当事者の方が証言があれば、すぐに解明しそうですが。。。

2002.11.9更新)『ロック画報』08のヒゴ・ヒロシ氏のインタビューから、3/3はスギタ加入以前にЯECK+CHIKO-HIGEの2人組でLiveを行ったという記録がある。更にヒゴ氏はこの2人組の3/3のLiveを見に行ったのは、今度同級生の杉田氏の兄・スギタ氏(ステュー)がベーシストとして3/3に参加するから、と話している。よって前述の2つの仮説は前者が正しいということになると思う。以下『ロック画報』08のインタビューに一部抜粋;
- 3/3に加入したきっかけというのは?
ヒゴ)「音楽が盛んな高校に通っていた。別のクラスにブルーグラスをやっている杉田くんっていうのがいて、彼とは卒業後親しくなったんだけど、彼の兄貴が3/3というバンドに入るっていうんで、吉祥寺のオズってライブハウスに一緒に見に行った。そうしたらレックとチコ・ヒゲの2人でやってて、○△□(まるさんかくしかく)のああいう感じ?顔を白塗りにして演奏していた。
3/3は、次に杉田くんの兄貴のステューがベースを弾いて青山タワーホールでやった。で、偶然小さなオープンリールのテレコを持ってて、彼らが録音してほしいっていうのと、オレも録音するのが好きだったので録りに言った。後日レックたちがテープを聴きたいっていうんで、遊びに行ったのが最初の出会いだった。その後ステューが辞めることになって、たまたまベースを弾いていたから、弾いてみないかって話で加入した。」


ービンについて2001年12月5日(水)に東京MXTVで放送された『東京プロジェクト』〜#48 健在!高円寺フォーク伝説がとりあげた。以下MXTVのWebサイト(ムービンの貴重な写真あり)より引用;

「音楽の街、高円寺の歴史を語る上で忘れてはならないのがロック喫茶「ムービン」です。後にバンド「はちみつぱい」のメンバーになる和田博巳さんが開きました。1968年にできたこの店の売り物は、洋楽の新譜をいち早くかけたことでした。当時は輸入盤が高価だったため、連日アメリカやイギリスの最新のヒット曲を聴こうというミュージシャン志望の若者たちで賑わったといいます。やがて客同士で自然発生的にジャムセッションが行われるようになり、この店は都内のライブハウスの先駆けとなりました。まだ無名だった山下達郎がデビューのきっかけを掴んだのもここです。」

アリ氏のコメント;
「ムービンには村八分の冨士夫やチャーボーもよく来ていました。いろんな連中がいたな。」


*アリこと有田武生氏はBLOW UP〜SUPER HUMAN CREW〜アケト などを経て現在はYARZ(ヤーズ)で精力的に活動中。
YARZのwebサイト↓



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