last update 2002. 2.24
ЯECKとCHIKO-HIGEが出会った70年代初めに行われたスタジオ・セッションに同席したやまかさんから貴重なコメントをいただいたのでここで紹介したい。これはЯECK&CHIKO-HIGEが在籍したマルチ・アート集団「○△□」のレコーディング・セッションである(1999年11月30日更新);
『ロック大系1957-1979(上)』(白夜書房)の記事をもとに少し説明を加えると・・・
雑誌の6月号が発売になるのは5月だから、御苑スタジオでのセッションは1972年末〜73年春ころに行われた可能性が高い。記事の内容は一見、セッションとは無関係のように見えるがやまかさんによると、まさにこの記事がセッションのことを指しているとのこと。「レコードを3枚」というのは、3タイトルではなく3枚プレスした、という意味だろうか?それにしても、このメンバーで雅楽のようなサウンドを出したというのは想像し難い。音源は残っているはずなので、是非聴いてみたいところだ。 2002年2月更新; 2001年6月、人づてにこのサイトを知ったカント氏から私宛にメールが届いた。上記レコーディング・セッションは当時カント氏が主宰していたマルチ・アート集団「○△□」(まるさんかくしかく)であることがわかった。その後電話でお話をうかがったところ、ここで当時の証言をしている方にコンタクトをとりたい、とのことだった。後にキャプテン・トリップ・レコーズからCD化される上記レコードのライナー・ノートをまとめるにあたり、かなり曖昧なご自身の記憶だけでは資料不足でぜひやまかさんの協力を仰ぎたいと。数カ月後、やまかさんとカント氏、上記セッションに参加していたЯECK、それからスタッフの方によるミーティングが実現した。以下、やまかさんからいただいた情報をもとに、前述のやまかさんの証言部分に情報を追加したい;
以上を整理します; ・70年代初頭にCHIKO-HIGEとЯECKが出会い3/3(の原型)が誕生する。 ・2人は3/3をやりながら、カント氏主宰のマルチ・アート集団「○△□」にも参加していた(73年ころ)。 ・○△□以前に、カント氏とЯECKは御茶ノ水デザイン学院で知り合っていた(『DOLL』2002.1号より抜粋) ・当時レコードとしてプレスし、キャプテン・トリップ・レコーズより2001年12月にCD化された○△□のレコーディングが、上記やまかさんが見た御苑スタジオのものと同一でないかもしれない。青木氏参加の部分、それからレコーディングには他にとーちゃん(三浦孝司)、比田義敬、ジュノが参加しており、やまかさんの証言と人数に開きがあることなどから。
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