リザード年代記『彼岸の王国』 (テレグラフ TG-022/1985.4)
front back
[A] LONDON SIDE
Live at THE NASHVILLE ROOM
[B] TOKYO SIDE
チキンシャックII/ローディ・プラザ
1. ROBOT LOVE 1. デストロイヤー
2. DON'T TOUCH THE SWITCHBOARD 2. 甘い誘惑
3. PLASTIC DREAMS 3. キツネつき
4. REAL GOOD TIME4. チャンス
5. GUYANA 5. 王国
6. LOVE SONG 6. 月光価千金)・・・not credited
7. ROCK CRITICS 1.〜4. 福生チキンシャックII
    1978.3.25(カセット録音)
8. MACHINE-GUN KID 5. 有楽町日立ローディ・プラザ 1979.6
Recorded live at THE NASHVILLE ROOM,
LONDON 1979.8.3(Fri.) カセット録音
6. スタジオ・デモ 1980
LIZARD
菅原庸介(モモヨ) Vox/Guitar<TOKYO SIDE>
塚本勝己(カツ) Guitar
若林一彦(ワカ) Bass
中島幸一郎(コウ) Keyboard, Synthesizer
若林恒夫(ツネ) Drums<TOKYO SIDE>
吉本孝(ベル) Drums<LONDON SIDE>


  • 1981年に3rdアルバム『ジムノペディア』を完成させて(翌年までライブはあったものの)バンドとしてのLIZARDは実質、解体する(“解体”という言葉が適当かどうかは疑問だが)。その後モモヨはいくつかのプロデュース業をこなす一方、81年頃から『DOLL』誌でいくつかのエッセイを披露するなど、より文学的活動が増えてきた。
     ちょうどその頃、モモヨは文学者の作品集(年表と資料をまとめた類いのもの)に興味を抱くようになる。作品だけでは理解できない部分もこういった資料集によって見えてくるケースがあるからだ。時を同じくしてモモヨは、芥川龍之介に師事していた堀辰雄という文学者に関心を持っていた。代表作の1つ『聖家族』という短編小説は彼自身とその周辺の女性をモデルとした私小説のスタイルをとっており、この作品を発表することによって彼の人生は一変してしまう。モモヨは数奇な運命をたどった堀辰雄の人生と自らの半生に類似する部分を感じ、一方で堀の年表、資料、作品などから芸術作品と二次的アート(解説、年表編集など)の相関性について考察していた。当時のこうした関心がきっかけとなり、モモヨはこの手法を用いてLIZARDの記録をまとめることを後期・紅蜥蜴からLIZARD(=モモヨ)を追い続けてきた地引雄一氏に提案した。つまり地引氏の目を通して見てきたLIZARDの記録を(年表的な)文章、解説/写真/音源を統合し編纂することを。これがリザード年代記『彼岸の王国』リリースのきっかけである。したがって『彼岸の王国』はLIZARDのいちレコード=音源集として捉えるべきではなく、付録のブックレットや写真作品とともにトータルで地引氏の作品と言った方が正確だ。なお地引氏が『彼岸の王国』を編纂する一方、モモヨは自伝風エッセイ『蜥蜴の迷宮』を執筆した。
     『彼岸の王国』は(1)ブックレット−リザード年代記/(2)レコード/(3) ピンナップ(片面カラー)で構成される。ブックレットで地引氏が記したリザードの記録は他にはない、地引氏でなければ書けなかった年代記と言える。白黒ではあるが貴重な写真も数多く収録されている。また巻末に掲載したモモヨの連作詩編も見逃せない。
     レコード(音源)の方は、A面=LONDON SIDE/B面=TOKYO SIDE に分かれている。LONDON SIDEは1979年8月3日(金)ロンドンのナッシュヴィル・ルームでのライブをカセット録音したものだ。音質は客席録り並みの粗さ。1曲目の『ROBOT LOVE』で音が一瞬、途切れるが、ブックレットに挟んである紙片に手書きで・・・

    「御注意 レコードA面一曲目に音の途切れる部分がありますが、これは音源カセットテープの録音時の回転ムラによるもので、レコード制作上のミスではありません。記録性を重視するため、音源の状態をそのままレコード化しましたので御了承ください。」

    とある。また曲間の処理も粗いままで、あくまでも中心は音源ではなく年代記の方でることがわかる。ファンが一番心残りに思うのは、ラストのアンコール『MACHINE-GUN KID』が途中でフェイド・アウトしてしまうことだろう。LIZARDのスピードを最も体感できる演奏(ベルのドラムがややヨタっているが)だけに、完全版のリリースが望まれる。
     一方でB面のTOKYO SIDEは1978年3月25日福生チキンシャックIIでのライブが中心。このライブは、地引氏が初めてLIZARD(紅蜥蜴)をカメラに収めた記念碑的ライブである(ちなみに地引氏が初めて紅蜥蜴を見たのは同年2月4日渋谷屋根裏・昼の部)。演奏は既に高いレベルにある。その当時で5年以上のキャリアを持っていた紅蜥蜴のレパートリーは幅広く、『キツネつき』のような暗黒めいたものから『チャンス』のようなアメリカ的ポップなラブ・ソングまである。ぜひ歌詞をご覧ください。
    アンダー・グラウンドの異端児・紅蜥蜴(1978.3.25 福生チキンシャックII)
    写真提供:BabyloNiC StuDiO(未発表カラー写真)

     B-5の『王国』はブックレットには1978年11月有楽町日立ローディ・プラザとクレジットされているが、これは1979年6月が正しい。モモヨ氏のサイト『BabyloNiC StuDiO』上で配付されたCD『Live in TOKYO '79』のボーナス・トラック(『NEW KIDS IN THE CITY』、『CAT MANIAC』)も同日のライブである。またこのローディ・プラザのライブは特殊な(異様な)状況で行われている・・・
     当時ローディ・プラザの全客席には簡易8チャンネルミキサー卓とカセット・デッキが備え付けてあり、その場で日立マクセルのカセット・テープを買えば誰でもミキサー気分でライブを録音ができる、というイベントを展開していた。このイベントには音楽評論家志望のオーディオ・マニアが集まっていた。その光景たるや、最前列から100人くらいが視聴覚教室の机のような席に皆かぶりつき、眉間にしわを寄せヘッドフォンをしレベル・メータとにらめっこ。一方、従来のLIZARDファンはその後方(机がないスペース)でジャンプしている、というモノ。さすがに頭にきたモモヨはライブの終盤、『ロック・クリティック』でオーディオおたくの卓の上にジャンプしてとびはねる、という技に出た(笑)。
     そもそもなぜこんな会場でライブをやることになったか、というのはロンドンに持っていくアレンジ・テープ制作を安くあげるためだった。
    (クリックするとセット・リストが表示されます)
    1979年6月ローディ・プラザ ライブ演奏曲リスト
     それからブックレットにはクレジットされていないB面最後の曲は、『バビロン・ロッカー』収録の『月光価千金』のリハーサル・スタジオ・デモ・ヴァージョン。録音時期は1980年の前半で、5人のリザードが2ndアルバムの構成を練っていた頃だ。
     また『彼岸の王国』編纂用に地引氏が手にしていた音源はこの他、1979年11月/1stアルバム発売記念ライブ at スタジオ・マグネットがある。これには『T.V.マジック』のスピード・パンク・ヴァージョンなどが含まれていたが、残念ながら日の目を見ることはなかった。

    『彼岸の王国』の各収録曲名の部分をクリックすると歌詞のサイトが開きます。

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